« 身近の事件 | トップページ | ブログ変更計画 »

安楽死と仏教

今日は仕事をお休みさせていただいて、研究室の研究報告会に参加しました。

題目は「安楽死と仏教」

研究室の先輩であり現役の僧侶でもある方からの報告で、
非常に多くの示唆をいただきました。

死は常に生と向き合っている。
よく死ぬことはよく生きることとつながっている。

生きるということはその人一人で完結することではない。
多くの、特に家族との関わりの中で僕らは生きている。
死と直面するのは、死に行く者だけではない。

死に向かう者が、どうやって自らの死をデザインするか。
遺された者が、どうやってその死を受け入れ、自分の生へと
つなげていくか。

安楽死とは死に方、別れ方をデザインすることであり、
生をデザインすることと必ず表裏を成している。

|

« 身近の事件 | トップページ | ブログ変更計画 »

学問・資格」カテゴリの記事

コメント

「死と直面するのは、死に行く者だけではない」と書かれていますよね。私も、そう思います。
 では、人間の「死」というのをあなたは、どのようにとらえていますか?
 私は、私がこの世から亡くなって、私を知っている人たちが私の存在を忘れてしまった時だと思っています。

投稿: miwa | 2008年1月26日 (土) 22時16分

miwa さん

コメントありがとうございます。
前回のご質問に引き続き、とても難しい
問題ですね。
とても僕の浅い人生経験ではろくなお答えは
できないと思いますが、
今の時点での僕の考えを話させていただきます。

僕の考えは「死には色々ある」ということです。
あまりにも一般論的で無責任な考えですが、
僕にはそうとしか言いようがありません。

それではさすがに答えにならないので、
もう少し僕の独断的想いを話させてもらうと、
死とはコミュニケーションの永遠の断絶だと思います。

僕が今後誰かとコミュニケーションをとることができる
可能性が全くなくなった時が僕本人にとっての僕の死で、
僕とコミュニケーションをとる可能性が
永遠に断たれた時が、僕を取り巻く者にとっての
僕の死です。

ちょっと長くなってしまいそうです。
コメントとしてではなく、
きちんとしたエントリーとして
僕の考えを話させてもらいたいと思います。

投稿: いしかわ | 2008年1月26日 (土) 23時19分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/209637/17835518

この記事へのトラックバック一覧です: 安楽死と仏教:

« 身近の事件 | トップページ | ブログ変更計画 »